隠岐郡隠岐の島町
玉若酢命神社
島根県隠岐郡隠岐の島町下西701
5月5日節句祭(古式)流鏑馬 8月3日夏祭(不動明王大護摩供) 11月3日郷大祭(33郷) 10月上旬※三十三年式年大祭(33年に1度の大祭)
4月 20日 苗村祭り 9月 5日 三十三年式年大祭 古は毎年秋に氏子33ヶ村列座の大祭が行われていたが、慶長4年(1599)これを改め、33ヶ村にちなみ33年に一度の式年大祭と定まつた。3日間、渡御・甲冑武士の行列・太鼓踊り・鎌踊り・山車等の奉納があり、天下太平・五穀豊穣を祈念する大祭である。最近では、昭和57年斎行。次回は、平成26年斎行。
創祀年代不詳。延喜式神名帳近江国蒲生郡十一座の中の長寸神社の論社である。社名苗村神社についてはもとこの地域は日本書紀巻六垂仁紀に三年三月新羅王子天日槍の来帰の条に「於是天日槍自菟道河泝北入近江国吾名邑暫往復更自近江経若狭国西到但馬国則定住処也是以近江国鏡谷陶人則天日槍之従人也云々」という吾名邑であり後に那牟羅と略称されたが、地名の那牟羅と同音になる長寸の字に替え長寸神社と称した。その後寛仁元年朝廷に長寸郷より門松用の松苗を献上せし所以で時の帝、後一条天皇より苗村の称号を賜り苗村神社と改称したと社蔵文書は伝えている。祭神の国狭槌尊は安和2年3月28日大和国金峯山より勧請された。現在の西本殿は徳治3年の棟礼によると建保5年に修造、更に徳治3年に再建したことが記されている。更に社蔵文書によると、天文5年3月22日後奈良天皇は、正一位の神位を授け給い、同年4月19日勅使下向の前々日の制礼銘文現存する。ついで神主盛継に修理太夫任官の口宣を下さる。同年5月9日天皇は「正一位苗村大明神」の勅願御下賜、同月12日関白近衛植家太政大臣三条実香以下30人の公卿が当社に法楽の和歌を送られ同19日神主は神前に奉納する等、天文5年3月より5月に亘り皇室との関係頗る濃厚なる事。更に織田信長より馬鞍一具、太刀七振の寄進あり。明治14年郷社に列す。大正9年県社に昇格。
御祭神や信仰系統、社格、地域などが共通する神社を紹介します。
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